『田中宏和さん』(田中宏和/リーダーズノート)、定価1365円(税込)。装丁は渋谷区でデザイン事務所を経営する田中宏和さん。左下にあるのが田中宏和公式ロゴ。
UPDATE 2010/09/17
みなさん、自分の名前、好きですか? 私はあんまり好きじゃない。電話で「新保(しんぼ)です」と名乗っても「は?」と聞き返されたり、「じんぼさん」や「しんどうさん」ならまだしも「しんごさんですね?」ってオレは風見しんごか!みたいなことばっかりで、なかなかわかってもらえないのがイヤ。さらに「信長」となると、「本名ですか?」とか「やっぱりご両親が織田信長のファンで?」とか、いちいち面倒くさくてしょうがない。
まあ、だからといって、あんまり平凡な名前もつまらないが、いっそ「山田太郎」ぐらいまでいけば、逆にインパクトあるんじゃないか。実際、山田太郎なんて名前の人は、今どきそう多くはいないだろう。
その点、「田中宏和」という名前は、見事に普通だ。各学年に1人はいそうだし、名刺ファイルを探せば1枚ぐらい出てきそう。電話で聞き返されたり、名前の由来について質問されたりすることもないと思う。そんなありふれた名前をそのままタイトルにしたのが本書『田中宏和さん』。で、著者も「田中宏和」って、いったい何の本なのかというと、まさに田中宏和さんによる田中宏和さんのための田中宏和さんに関する本なのだ。
そう言われても何のことやらわからないと思うけど、要するに、同姓同名の「田中宏和さん」たちによる「田中宏和運動」、すなわち”田中宏和さんが田中宏和という名前の人を集め、互いに交流し、田中宏和の輪を広げる運動”の記録である(ややこしい!)。
中心となっているのは広告会社勤務の田中宏和さん。1994年のプロ野球ドラフト会議で近鉄バファローズ(当時)が田中宏和(投手・桜井商業高校)を1位指名したことに衝撃を受け、その1カ月後に文芸誌の広告で南方熊楠についての本の著者として田中宏和の名を目にした。そこから田中宏和さんの田中宏和集めが始まり、毎年の年賀状でその成果を友人知人に報告するようになる。地道に活動を続けていたが、転機は2002年。ひょんなことから「ほぼ日刊イトイ新聞」でその年賀状シリーズを公開したら、大反響! ついに渋谷区でデザイン事務所を経営する田中宏和さんと実際に対面することに……。
以後、マスコミに取り上げられたこともあり、田中宏和運動のメンバーは徐々に増加。2007年には5人の田中宏和が集まり語り合う「田中宏和2007夏フェス」開催、2008年にはオリジナルロゴをプリントした田中宏和Tシャツ作製、2009年には田中宏和作詞、田中宏和作曲による『田中宏和のうた』完成、そして2010年、14人の田中宏和執筆・デザインによる『田中宏和さん』(つまり本書)まで出版してしまった、というわけだ。
ほとんど冗談で始めたことが、どんどん広がり本格的になっていく。思わぬ展開に本人たちも戸惑いつつ、それでも面白がって乗っかっていくポジティブさ、どうせやるならとことんやろうという徹底ぶりが痛快。遊びは本気でやったもん勝ちである。
一方で、年齢も職業も趣味もバラバラな人たちが、ただ同姓同名というだけでつながっていくという、浅いんだか深いんだかわからない人間関係も斬新だ。何しろ全員が田中宏和なもんだから、名刺交換してもどっちも「田中宏和」で、それぞれ〈ほぼ幹事の田中さん〉〈渋谷の田中さん〉〈作曲の田中さん〉などと呼び合っているという不思議な世界。今まで当たり前と思っていた”名前によるアイデンティティ”が揺るがされ、「名前とは何だろう?」なんてことまで考えさせられる。
しかし、そんな理屈よりも素晴らしいのは、本書に登場する田中宏和さんたちが揃って人柄よさそうってことだ。発端となった〈ほぼ幹事の田中さん〉の年賀状の文章からしてウイットに富んでいるし、「田中宏和カタログ」として掲載された14人の田中宏和さんの自己紹介も飄々として味がある。〈この名前には悪い人はいそうもありません!〉(WEBの田中さん)、〈やっぱり「田中宏和」に悪い人はいないからです〉(レーザーの田中さん)と本人たちも書いてるように、田中宏和に悪人はいないに違いない(たぶん)。
「田中宏和御一行様」のプレートを掲げたバスで、長野県の田中本家博物館の田中宏和館長に会いに行くツアーを敢行する企画力と行動力も素敵。「このバスが崖から落ちたりしたら、しゃれにならないですよね」「ニュースの扱いは、9人の田中宏和さん行方不明。警察は身元の確認を急いでいる」「遭難も避けたいですね」「田中宏和さん(8人)が遭難。捜索本部では、訪れた家族の混乱を治める対応に追われている」なんて会話も楽しそうだ。
〈ほぼ幹事の田中さん〉のいとこの推計によれば、日本には約850人の田中宏和さんがいるらしい。田中宏和の輪がどこまで広がるのか、今後の報告を待ちたいが、ひとつだけ残念なことがある。それは私が田中宏和ではない、ということだ。
新保信長
1964年、大阪生まれ。編集者&ライター。阪神ファン。著書『笑う新聞』『笑う入試問題』『東大生はなぜ「一応、東大です」と言うのか?』『国歌斉唱♪』ほか。
リーダーズノート
売り上げランキング: 296733
大笑いしながらも、考えさせられる本
この本をしっかり読み込むことになろうとは
メタ好きな人にオススメ(たぶん)
本を開けば小宇宙・・・。