『バナナの皮はなぜすべるのか?』(黒木夏美/水声社)、定価2100円(税込)。アンディ・ウォーホルの手になる有名なレコードジャケットを模したカバーデザインもシャレが利いてる。
UPDATE 2010/08/23
あまりのバカバカしさゆえ、逆に「あんたはエライ!」と賛嘆せずにいられない”天才的にバカな本”、略して「天才バカ本」を紹介するこのコーナー。そろそろ前説はいらないかなと思いつつお届けする3回目は、バカバカしいことを超真面目に追究した一冊だ。
もはや定番となった感のある「○○はなぜ××なのか?」式のタイトル。新書なんかだと、期待したほど中身がなかったりすることもしばしばだが、この本は違う。最初から最後まで、濃厚な具がみっちり詰まってる。ただし、『バナナの皮はなぜすべるのか?』というタイトルは、やっぱりちょっと内容を正確には表していない面もあり。
本書がまるまる一冊かけて追究したテーマ。それは〈バナナの皮ですべって転ぶ〉という古典的ギャグが、いつ、どのようにして生まれ、どのように普及していったのか、ということだ。
く、くだらない……。まったくもってくだらない。が、そのくだらないテーマが意外な広がりと深みを見せるのだから、たかがバナナの皮と侮るべからず。映画やマンガにおける〈バナナの皮ギャグ〉のルーツ探しに始まった著者の調査&考察は、文学、哲学、歴史、社会、経済にまで波及していく。その過程で思いもよらない発見、知られざる事実が次から次へと浮かび上がってくるのである。
まず驚かされるのは、バナナの皮ギャグの普及ぶりだ。日本やアメリカのみならず、香港、インド、イタリア、ドイツ、フランス、イギリス、ロシア、フィリピンでも、映画やマンガなどでバナナの皮ギャグが使われているということを、実例を挙げて報告する。もちろん日本のマンガにおける使用例も豊富で、マンガは専門分野である私でも「よく調べたなあ」と感心せずにいられない。
さらに驚愕なのは、戦前の日本では路上にバナナの皮が落ちているのは珍しいことではなく、バナナの皮ですべって転ぶ事故が実際に起こっていたらしい、ということ。それこそギャグみたいな話だが、実は19世紀後半のアメリカですでに路上に捨てられたバナナの皮の危険性が問題となっていたことを示す文献も示されていたりする。つまり、現実にバナナの皮ですべって転ぶ人がいて、そこからギャグが生まれたわけで、バナナの皮ですべって転ぶ人を見て「マンガみたい」と言うのは本末転倒だったのである!
ちなみに、本書で紹介されている1921年(大正10年)の時事マンガには、「公徳心のない人達」と題して、列車の床にバナナの皮が捨てられている様子とともに、座席で化粧をしている和服姿の女性が描かれており、これも意外な発見のひとつ。いやー、電車で化粧する人って、昨日今日発生したわけじゃなかったんだなあ。
ほかにも、バナナの皮ですべるのがなぜ笑いを誘うのか、バナナという植物そのものの歴史、バナナ生産国と輸入国の貿易、バナナと人種差別など、バナナとその皮に関するありとあらゆる資料を漁り、あげくの果ては実際にバナナの皮を踏んで、すべり具合を試してみる。そんな著者の執念というか、飽くなきバナナ愛(?)には脱帽するしかないけれど、その結果がかくも発見と驚きに満ちた読み物になるとは、著者自身も想像していなかったのではないか。
いやはや、バナナの皮恐るべし! というか、やっぱり一番すごいのは、こんなアホなテーマに着目し、本気で調べようと思い立ち、それを実行してしまった著者である。お遊びじゃなく、真剣に取り組んでるからこそ、バカバカしさも生きるのだ。
おそらく世界的にも例のないバナナの皮ギャグ大研究。ぜひとも今年度のイグ・ノーベル賞(「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に対して与えられる賞)に推薦しておきたいと思う。どうすれば推薦できるのかは知らないが。
新保信長
1964年、大阪生まれ。編集者&ライター。阪神ファン。著書『笑う新聞』『笑う入試問題』『東大生はなぜ「一応、東大です」と言うのか?』『国歌斉唱♪』ほか。
水声社
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