『世にも奇妙なマラソン大会』(高野秀行/本の雑誌社)、定価1680円(税込)。今ではマラソンに対する興味も失ってしまったというのも適当でいい。
UPDATE 2011/07/04
マラソンとか登山とか、やる人の気が知れない。42キロも移動するなら車か電車に乗るべきだし、山なんか登ってもどうせ下りてくるだけではないか。なんでわざわざしんどい思いをするのか、まったく意味がわからない。
いや、ゴールしたとき、頂上に立ったときの達成感は何物にも代えがたいんだよ、と言う人もいよう。が、私だって富士山に登ったことはあるし、マラソンは無理だが新宿から青梅までを歩く「かち歩き大会」に参加したこともある。もちろんどちらも取材だが、特に感動もなければもう一度やりたいとも思わなかった。
しかし、世の中には奇特な人がいるもので、誰に頼まれたわけでもなく、ジョギング程度の経験しかないのに、いきなりフルマラソンに出場しようというのである。しかも、開催地はサハラ砂漠。そんなところを42キロも走ろうなんて、奇特というより無謀、はっきり言えばアホである。
そんなアホとしか言いようのない挑戦の一部始終を記したのが本書。まあ、結果的にはこうして本になっているわけで、仕事の一環には違いない。にしても、インターネットで見つけた詳細不明なマラソン大会に後先考えず申し込み、3週間弱の準備期間で本当に参加してしまうのだから、その蛮勇には呆れるほかない。
なぜサハラ砂漠でマラソンかというと、実はちゃんと理由があって、西サハラの独立運動と難民問題を世界にアピールするための大会なのだ。そこに著者は興味を惹かれたのであり、大会の舞台となった難民キャンプの現状についての観察&考察もしっかり盛り込まれている。そういう意味では立派な国際情勢ルポなのだが、著者ならではのズッコケ文体のおかげで堅苦しさは感じない。
もちろん大会そのものも、タイトルどおり“世にも奇妙”だ。レースの過酷さの割にアバウトな運営に驚かされ、超ド級に方向音痴なスペイン女性など個性豊かな参加者たちの言動に含み笑いを誘われる。そして何より、自業自得とはいえ〈世界中の猛者の中に自分一人超初心者〉という状況に置かれ、不安と高揚が交錯して何だかよくわからないことになっている著者の姿に思わず吹き出す。
これまでも世界の辺境で体を張った取材をしてきた著者であるが、単純な体力勝負としては今回が一番キツかったのではないか。なんでわざわざこんなことを……と思うけど、やってみなければわからないことは確かにある。砂地は細かいステップより大きなストライドで走ったほうがいいとか、「サハラ・リブレ、サハラ・リブレ(自由のサハラ)」と念仏のように唱えてみたら呼吸が楽になったとか、著者がレース中に苦し紛れに編み出した砂漠走行術は、もし砂漠を走ることがあったら参考にしたい。
しかし、個人的に「この人アホだなー」と心底感銘を受けたのは、実はマラソンよりも同時収録の「名前変更物語」のほうである。うっかりインドに密入国して強制送還されたことがある著者は、インド入管のブラックリストに載ってしまい、二度とインドに入国できない身となった。が、何としてもインドで怪魚ウモッカを探したい。よし、パスポートの名前を変更しよう、と考えたのだ。
そこでまず何をしたかというと、妻への土下座である。一度離婚してから再婚し、その際、妻の側の姓を名乗ろうという寸法だ。が、いろいろあってこの作戦は頓挫。じゃあ、名前の読み方を「ヒデユキ」ではなく「シュウコウ」に変え、それで新たにパスポートを申請しよう、ということになるのだが……。
結果がどうだったかは置いといて、旅券課に提出する書類に書いた「名前変更の理由」が素晴らしい。〈ノンフィクション作家なのに、嘘のオンパレードになってしまった〉との自虐の弁には笑ったが、よくまあこれだけデタラメを書けたもんだと逆に尊敬してしまう。4つ挙げた理由のうち3つめまではまあいいとして、すごいのは4つめだ。
〈以前、ブラジルの「ヌメロジア」という名前占いの占い師に「その名前はよくない。四十代前半に命に影響のある病気になるから名前を変えたほうがいい」と言われた。今、実際に原因不明の体調不良がつづき、その占いが気になってしかたない〉
……こんな理由が通るわけあるかー! 何だよ、「ヌメロジア」って。まったく小学生男子レベルの発想である。
この読み方変更作戦も、最終的には自業自得のややこしい事態となるのだが、やろうと決めたらとことんやってしまう暴走力は、ある意味、美しい。
〈やりかけたことを途中でやめる機能が私にはついていないらしいのだ。やめるどころか、ますます勢いよく間違った方向に突っ込んでいく〉と著者は言う。しかし、間違った方向でもとことん突き進めば、ぐるっと回って元の場所に戻ってくるものだ。しかも、その手にいろんなおみやげを持って帰る。それこそ辺境作家・高野秀行の資質だろう。
新保信長
1964年、大阪生まれ。編集者&ライター。阪神ファン。著書『笑う新聞』『笑う入試問題』『東大生はなぜ〈一応、東大です〉と言うのか?』『国歌斉唱♪』ほか。