八百長問題渦中の元前頭・春日錦=現竹縄親方。さて問題は本当に力士だけにあるのだろうか?(写真は春日野部屋より)
UPDATE 2011/02/08
日本・東京
八百長問題で大揺れに揺れる大相撲。しかし過剰に真剣勝負を求める日本人世論に対し、「過酷なスケジュールで、相撲レスラーを死ぬまで戦わせようとしている!」と各国の格闘系スポーツの一流選手からは非難の声が上がっている。
確かに、アメリカン・フットボールの最高峰NFLのレギュラーシーズンのゲームは、年間たった16試合しか行われない。それもそのハズ、身長2m、体重100キロを超える巨漢の選手同士が真剣にぶつかり合えば、数トンの衝撃を体に受けることになる。いかに鍛え上げた体でも、体の回復を越える回数の真剣勝負を行えば、負傷は必至。無理をすれば生命の危険が伴うからだ。
「ヘルメットにプロテクターを装備した俺たちでさえ、年間20試合が限度といわれているのに、生身で年間90試合も真剣勝負で戦わされるのは、非人間的すぎる」元NFL選手O氏
これらの非難の声はアメフトからだけではない。
「年に90試合もしたら、オレなら1年で廃人だよ。彼らはよく生きてるね」元WBCライトフライ級世界ランカーB 氏
実際プロボクシングの世界でも「ボクサーは、試合終了後、2週間を経過しなければ次の試合に出場できない。KO・TKOされたボクサーは、原則として90日間を経過しなければ次の試合に出場できない。連続4回負け、および連続3回KO・TKOされたボクサーは、120日間を経過しなければ次の試合に出場できない」という選手の体を事故から守る厳しいルールが制定されている。この規定に当てはめてみると、選手は最大で年間26試合しかできないことになる。
人々は大相撲の力士に八百長(=手抜き勝負)だと責める前に、人間が格闘技で真剣勝負できる回数は、年間約30試合が限界だということを、先ず知っておくべきだろう。
では、なぜ大相撲の選手だけが、これほど非人間的な回数の真剣勝負を求められるようになったのか?WWNはNHKをはじめとする各種メディアの罪が大きいと分析している。
本来大相撲は、江戸時代から10日間の本場所が、春夏の年2回開催と決まっていたのだ。「1年を20日で暮らす良い男」というのは、年20日真剣勝負の相撲をとって、あとはゆっくり体を休める大相撲力士の生活を言い表した言葉だ。計らずも、これは現代の他の真剣勝負系プロスポーツの上限試合回数に準じている理にかなった試合数といえる。
現在の年間6場所制になったのは、昭和33年。東京タワーが完成し、カラーテレビ放送が始まった時期。テレビ全盛期に向かうNHKのキラーコンテンツとして連日の大相撲中継が求められ、視聴率獲得に貢献したのは疑う余地もない。力士達は、テレビ中継のために場所数や取り組み数を増やされたのだ。
しかし、年間本場所だけで90日。これにまだ地方巡業が加わる過酷な戦いの日々を、全て真剣勝負で戦わねばならないなどと、一体誰が言い出したのだろう?
選手の身体の安全を無視した興行スケジュールを組んでおきながら、真剣勝負が当然と、同義や道徳を語るNHKや日本相撲協会には、あきれて言葉も無い。人命や安全より優先される同義や道徳が在るというのだろうか?
この過密日程を組むのであれば、あらかじめ視聴者に対して「優勝争いや、勝ち越しのかかった一番は真剣勝負!他は巧妙な駆け引きが見ものです」くらいの選手の体を気づかったコメントでの観戦啓蒙活動が必要だったハズだろう。
WWNが一番恐れるのは、今回の騒動後、再開された大相撲で、力士達が自責の念に駆られて、全取り組みを一寸の隙もなく真剣に戦い続けることだ。繰り返すが、年間90日も真剣勝負を行えば、いかに鍛え上げた力士でもケガや事故は必至だろう。ヘタをすると死者が出るかもしれない。
大相撲というスポーツは、トーナメントではない。15日という場所の中で、勝ち越せれば、先ずは成功。より多く勝つにこした事は無いが、全ての取り組みに勝つ必要は無い。相性の悪い相手や格上の相手と無理して戦ってケガをするより、一つ星を落としても別の取り組みで二つ星を得るのは立派な作戦なのだ。
全力投球で勝負しなければ八百長と力士を非難するなら、プロ野球で勝負を避ける敬遠のファーボールも許されないことになる。
どんなに優秀でスタミナ抜群のピッチャーでも、先発完投を全力で投げ続ければ体が持たない。どこかで力を抜いているモノだ。むしろコーチなどは選手に全力で飛ばしすぎるとケガや故障を避けるため「力を抜け」と注意するはずだ。そんな近代スポーツ医学では常識的な選手への配慮すら、今の大相撲には無さ過ぎる。未だ昭和の精神主義が主流、そして協会は営利主義に走りすぎたのだ。
もし年に2場所20日しか無い取り組みならば、その全ての勝負はガチンコの真剣勝負になるだろう。
防具無し、グラブ無しで戦っている力士には、元々隠す物などほとんどない。これほどの巨体の漢が集い、生身でぶつかるスポーツは世界でも他に無い。
そんな彼らに向かって、現在声高に「八百長!」と叫んでいる記者達の中に、取材と称して会社の金で飲み食いし、さぼってパチンコを打っていた奴をWWNは何人も知っている。子供達に悪影響をおよぼすのは、よほどそちらの方だろう。
本会議中に居眠りしていた国会議員が今回の事件を受けて「実に不謹慎だ」と聖人君子ぶって言い放つ神経が分からない?
「我に罪無きと思う者は彼らにムチ打て!」
WWNは、誰も見てなければ居眠りもしたいし、仕事をさぼってでも見たい野球やサッカーの試合も多数ある。それでも、どうにかやるべき仕事だけはやらなきゃな…と思っている程度の凡人だ。少なくとも「私は常に本気で仕事してます」なんていえる勤務状態ではない(苦笑)。とても日頃の自分の生活態度を考えると上から目線で力士達を責める気にはなれない。
むしろ、彼らを八百長に追い込んだ興行優先のビジネスモデルを作った責任者を責めたいのだ。
古代ローマのコロシアムでは、グラディエーター(剣闘士)達に互いに命を奪うまで真剣勝負を行わせていたという。だが相撲ファンは、そんなことを望んではいないハズだ。真剣勝負は見たいが、力士には永く安全に戦って欲しいのではないのか?
WWNからの提案だ!大相撲協会は、本当に真剣勝負を目指すなら場所を少なくとも半分以下に減らす事、もしくは東西2リーグに分け、場所交代で興行を行うことだ。そしてケガをした力士に対しては徹底的なケアを保証することも絶対条件だ。これなら力士は安心して真剣勝負に挑めるだろう。
もっとも、常に真剣勝負を求められるイバラの道より、伝統というコートを脱ぎ捨て、世界に通じるエンターテインメント性を打ち出す道もお勧めしたい気もするが…。
最後に言っておこう。野球もサッカーも所詮借り物のスポーツ。好む好まざるに関わらず相撲は日本の国技。新生大相撲の復活を大切に見守ろうではないか。
共同通信社
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