『もたない男』(中崎タツヤ/飛鳥新社)、定価1365円(税込)。帯の写真は著者の仕事場。入居前の部屋のように、本当に何もない。左下に転がってるのは手製の枕。
UPDATE 2010/12/31
年末の大掃除をきっちり済ませてお正月、という方も多いと思うけど、我が家はいつもどおり散らかったままである。いや、多少は掃除しましたよ。でも、床や机の上に積み上がった本が片付かない。だって、物理的に収納できる限界量を完全に超えてるんだもん。本棚の増設も限界で、もはや片付けようにも片付けるスペースがないのである。
だったら、不要な本を売るなり捨てるなりすればいいじゃん、って話だが、仕事柄、「いつか必要になるかも」と思うと処分できない。いや、それでも思いきって毎年50~60冊くらいは処分するんだけど、そんなものは焼け石に水。マイ箸を持ち歩いて熱帯雨林を守った気になってるようなものである(違うか)。
そんな人間から見ると、本書はまさに「驚愕」の一言だ。『じみへん』でおなじみの漫画家・中崎タツヤ氏が、自身の“物を持たない生活”について語ったもの――と聞くと、よくある整理術や自己啓発本の一種かと思われるかもしれないが、そんなレベルの話じゃない。とにかくもう、何でも捨ててしまうのだ。
たとえば本なんて、真っ先に捨てる。読み終わったらすぐ捨てるという人は結構いるかもしれないけど、中崎氏の場合、〈読むそばから読み終わったページを破って捨ててしまうこともありました〉というからハンパじゃない。文庫本の場合の〈読んだページの捨て方〉を図解したイラストも載ってるが、ただ破り捨てるのとは違う。読み終えたページを破り取った後に残った糊の部分をツメで削り取り、そこから背の部分ごと表紙を折り曲げて、ページが減った分ハミ出した表紙もきちんと切り取る……って、図解を見ないとよくわからないと思うけど、〈これを2~3ミリ読むごとにくり返えす〉というから、なかなか手間がかかるのだ(読んだ量をページじゃなくてミリで考えてるところにも注目!)。
さらに、ボールペンは〈インクが減ってくると、減った分だけ長いのが無駄な気がして(略)本体も短く削っていきます〉と、これまた手間のかかることをする。オートバイを買えばフェンダーを外して捨てて、クルマを買ったらホイールカバーと後部座席のヘッドレストを捨ててしまう。結果、雨の日にバイクに乗ったら泥だらけになり、クルマは車検を通らず業者に同じ車種のヘッドレストを付けてもらうハメに。それでも、〈フェンダーを捨てることができるなら、濡れるぐらいたいした問題ではありません〉って、何か間違ってるような気が……。
そう、中崎氏は捨てるためなら骨身を惜しまないのである。障子戸が邪魔だからと外して、窓に直接障子紙を張ってみたりして、〈無駄なものを減らすための、こうした創意工夫や試行錯誤はまったく苦になりません〉と言う。いやいや、その努力こそ無駄なのでは?とツッコミ入れたくなるけれど、〈私の場合はきっと必要ないものだけでなく、あってもいいものまでなくてもいいものと考えるようにして捨てているのだと思います〉〈いつも部屋の中をぼんやり見回しながら、捨てるものはないかと探しています〉とまで言われると、何やら崇高な宗教儀式のようにも思えてくる。
が、〈ものを捨てることは、私にとって主義でも美学でもありません〉とのことで、実は物に執着がまったくないわけでもない。ただ、“捨てる基準”が一般人と激しく違っているのである。とにかく自分が無駄だと感じたものは、どんな手段を使ってでも捨てずにいられない、捨ててスッキリしたいという、本人いわく〈スッキリ病〉。
結局、前出のオートバイも捨ててしまい、一時は仕事に使っていたパソコンも捨てた。電話も捨て、ソファも捨て、作画用の資料も捨てて、仕事場に残ったのは小さな机と丸椅子とアイデア出しのときに寝転ぶための手製の枕ぐらい。あげくの果ては、自分の単行本も、漫画家にとって命の次に大事なはずの生原稿も、すべてシュレッダーにかけて捨ててしまったというんだから、かなりの重症だ。
ここまでくると、呆れるのを通り越して、ちょっと怖い。原稿をシュレッダーにかける場面など、他人事ながら「やめてー!」と叫びたくなった。けれど、ある意味、うらやましい気がしなくもない。さすが『じみへん』の作者というか、こういう人だから、あんなヘンなマンガを20年以上も描き続けていられるのだろう。
私のような凡人にはとても真似できないし、真似する必要もないのだが、とりあえずこの本を破り捨てることができれば、新たな人生が開けるかも!?(でも、たぶん無理)
新保信長
1964年、大阪生まれ。編集者&ライター。阪神ファン。著書『笑う新聞』『笑う入試問題』『東大生はなぜ「一応、東大です」と言うのか?』『国歌斉唱♪』ほか。